藤圭子歌碑
東京都新宿区新宿6-21-1(西向天神社)
東京都新宿区新宿5-17-3(花園神社)
1998年12月、「Automatic」のミリオンヒットと共に彗星のように現れた宇多田ヒカルは、当時若干15歳。母・藤圭子が昭和45年(1970)のヒット曲「圭子の夢は夜ひらく」で、“♪十五 十六 十七と 私の人生 暗かった”と唄った、まさにその年齢に人生を輝かせてしまった。
その藤圭子の歌碑がふたつ、新宿に建っている。
一つは西向天神社に建てられた昭和44年(1969)のデビュー曲「新宿の女」、もう一つは花園神社境内の芸能浅間神社にある「圭子の夢は夜ひらく」。作詞をした石坂まさをの作詞作曲家生活30周年を記念して平成11年(1999)に建てられたものだ。
西向天神社は、「新宿の女」のキャンペーンのために二人が新宿の飲屋街を25時間ぶっ続けで流して回るという「新宿25時間キャンペーン」のスタートを切った記念の場所だという。
藤圭子には格別の想い出はないけれど、洋楽を聴き始める直前の短かった歌謡曲時代をほのぼのと思い出した。