風船爆弾
東京都墨田区横網1-4-1 江戸東京博物館
旧陸軍気象部跡(7/30)の項で紹介した風船爆弾の模型を見に、両国の江戸東京博物館に行って来た。江戸時代から現代にいたる江戸・東京の歩みを模型や実物で紹介する展示は何度見ても楽しく、目的を果たした後も切り上げるのに苦労した。
「風船爆弾」というたよりない名前とは裏腹に、綿密な計算により設計された高度保持装置のごつい感じにまずハッとさせられる。搭載された焼夷弾と対人攻撃用爆弾を目の当たりにすると、それが悪い冗談でなかったことに改めて気づかされる。(パネルには「2kg焼夷弾2個と15kg対人攻撃用爆弾1個」と書かれていたが、模型には焼夷弾が4個装備されていた。焼夷弾については、5kg焼夷弾4個、あるいは12kg焼夷弾2個とした資料もある。)
展示されているのは縮小模型で、実物は気球部分の直径が約10m、ゴンドラ部分を吊る綱が15mとかなり大きい。気球部分は和紙でつくられ、1個あたり4,000枚の生紙をコンニャク糊で貼り合わせて製作したという。その作業場には日劇、東京宝塚劇場、有楽座や国技館などの広いホールが使用され、多くの女学生が動員されたそうだ。
「富号作戦」と命名され、終戦間近い昭和19年の冬から翌年にかけて約9,300もの「ふ号兵器」が打ち上げられるという一大作戦であったが、米国本土で山火事を何件か起こした程度で、めざましい戦果は挙げられなかったようだ。冬期偏西風(ジェット気流)を巧みに利用するハイテクさと、コンニャク糊という組み合わせが何とも微妙な大陸間弾道弾であった。