旧陸軍気象部跡(馬橋公園)
東京都杉並区高円寺北4-35-5
小さな子供たちが水遊びに興じ、大きいお兄さんたちは少年野球の練習に汗を流す。木陰のベンチから、散歩に来た近所の人が目を細めて子供たちの元気な姿を見守っている。
そんな平和な公園には、かつて陸軍気象部が置かれていた。
ここでは第二次大戦中、戦闘機による敵地の攻撃などに影響のある気象の観測と研究を行っていたのだが、その研究から風船爆弾というとんでもないものが生まれている。これは太平洋の上空に吹くジェット気流(偏西風)を利用して風船に付けた爆弾を飛ばし、米国本土に投下するというもので、昭和19年(1944)11月から翌年4月にかけて約9,300個の風船爆弾が海を渡っていった。そのうち米国本土に到達したのは300とも1,000とも言われている。米ソの冷戦以前に実用化された、史上初の大陸間弾道弾といえるかもしれない。
とはいえ、広大かつ人口密度の少ない米国に対して放たれた風まかせの風船では、米国に致命傷を負わせることはもちろんできなかった。しかし、当時ジェット気流の存在を知らなかった米国では、「カミカゼ」(神風特攻隊)とはまた別の意味で何をしでかすかわからない日本人の神秘を感じ、またこれが焼夷弾でなく生物兵器(細菌爆弾)であったらと恐怖をつのらせたという話も伝えられている。
公園の沿革 || 風船爆弾 | かつてここにあった気象神社