櫻田烈士愛宕山遺蹟碑
東京都港区愛宕 1-5-3
安政7年(1860)3月3日、雪の江戸城桜田門外で大老井伊直弼は水戸藩士らに討たれて命を落とした(桜田門外の変)。愛宕山の愛宕神社境内には、水戸藩士らがここを集合場所として大老襲撃に赴いたことを記した碑が建っている。
独断での諸外国との通商条約調印や安政の大獄などの反対派弾圧により、井伊大老はどちらかといえば悪者扱いされてきた人だ。昭和16年(1941)に建てられたこの碑には、当時の東京市長大久保留次郎が題字を揮毫し、発起人にも著名人が名を連ねている。今の政権は幕府を倒した側のものだから、やむを得ないことだろう。
わたしは学生時代にちょろっと習った程度の浅い知識しか持たないので、この事件のことをあれこれ評価することはできない。これまでは、井伊直弼よりは安政の大獄に斃れた吉田松陰の肩を持っていた方だ。
しかし最近になって、隣町の世田谷がかつて井伊家が藩主を勤めた彦根藩の所領で、豪徳寺に直弼を含む歴代の墓所があることを知ってから、少し気持ちが傾いてきた。ご近所だからといってすぐに井伊大老擁護に翻意するわけではないが、吉良邸跡(本所松坂町公園)のところでも書いたように、歴史にはいろんな立場からの見方があっても良いと思うのだ。