2006年10月9日(月)

青木昆陽(甘藷先生)墓

東京都目黒区下目黒3-20-26(目黒不動)

碑

最近は見ることが少ないけれど、秋の風物詩と言えば落ち葉焚きで作る焼きいも。落ち葉が終わっても、木枯らしの吹く夜、遠くから聞こえてくる「い〜しや〜きいも〜」の声に季節の情緒を感じる。

墓

焼きいもにするサツマイモは、薩摩芋の名の通り江戸時代に琉球から薩摩(鹿児島)を経由して日本に入ってきた。薩摩富士(開聞岳)の火山灰に覆われたやせた土地でも栽培できたことから、飢饉の時の救荒作物として重宝されたという。そのサツマイモこと甘藷を全国に広めるのに一役買ったのが、儒学者青木昆陽だ。

昆陽は晩年を目黒で過ごし、目黒不動裏の、自ら「甘藷先生墓」と刻した墓所に眠っている。境内には、サツマイモ業者(甘藷組合)が明治時代に建てた立派な「昆陽青木先生之碑」と「甘藷講碑」があり、その偉業をたたえている。

東京都教育委員会の説明板 | 小石川植物園にある甘藷試作跡の碑