2005年11月26日(土)

給 田

東京都世田谷区給田3-29(新一里塚)

ケヤキ

給田と書いて“きゅうでん”と読む。調布にも飛田給(とびたきゅう)や上ヶ給(あげきゅう)という字(あざ)があり、官から支給された田地ということらしい。

良寛の樹

甲州街道の仙川と環八に挟まれた区間では、南側に並行して旧道が通っている。給田は、その西(仙川)側出口付近の地名だ。

街道に面した民家の門口に、里程標(新一里塚)の標石が建っていた。すぐ近くの仙川にも一里塚碑があり間隔が変だと思ったが、こちらは日本橋起点ではなく、明治時代に内藤新宿を起点に配置し直したものだそうだ。

街道筋の建物は建て替わって往時の面影はないけれど、マンションよりも高く聳えるケヤキの木など、わずかにその頃のことを想像するよすがになる木々が大切に残されている。

※ 右写真の木が貫通した家は現在はなく、木だけが残されています。(2008)

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