2001年8月19日(日)

分倍河原古戦場

東京都府中市分梅町2-59 (新田川緑道)

分倍河原古戦場の碑

新田義貞と北条泰家が鎌倉幕府の存亡をかけて戦ったという分倍河原古戦場跡の碑が、府中郷土の森から分梅方面にのびる新田川緑道が分梅道に交差するところに建っている。

新田義貞公之像

解説板に寄れば、元弘3年(1333)5月15日の緒戦に新田軍は敗れ、その際に武蔵国分寺が焼失したというが、翌16日には多くの加勢を得て北条軍を破り、その勢いで鎌倉に攻め入り22日に幕府を滅ぼしたという。

「分倍」河原の合戦というが、町名は「分梅」という。御猟場道と分梅通の交差点にある由来碑によれば近世になって「分梅」が多く使われるようになったらしい。

記念碑は昭和10年に建てられたもので、碑文は新田家を継いだ新田義美男爵の筆になる。

なお、新田川の名は新田義貞には関係なく、周囲の新田(しんでん)開発のための用水の名から来ている。

また、ここから北へあがった分倍河原駅前には、立派な新田義貞の騎馬像が建っている。

碑文 | 東京都教育委員会の説明板 | 新田義貞公之像の説明(1) | (2) | 分梅の由来 || 関戸古戦場跡