2003年6月21日(土)

どんどん橋・石橋造立供養塔

東京都三鷹市牟礼1-6

どんどん橋

人見街道が玉川上水を渡る牟礼橋は、三鷹市と杉並区の境にもなっており、杉並区側には庚申塔、三鷹市側には石橋造立供養塔があって共にそれぞれの領分を護っている。

石橋造立供養塔

石橋造立供養塔には宝暦7年(1757)の刻印があり、それまでの板橋を石造に架け替えた旨が記されている。現在の橋は昭和8年(1933)に架けられたと言うが、供養塔には寛政9年(1797)と嘉永2年(1849)の記録もあり、繰り返し掛け替えが行われていたことがわかる。

牟礼橋の上流側に古い煉瓦造のアーチ橋が残されている。どんどん橋とも呼ばれている旧牟礼橋だ。太宰が身を投げ松本訓導が水難にあった昔、玉川上水は今よりも水量が多く勢いもあった。その激しい流れの音が「どんどん」と聞こえたことから橋の名がついたと言われている。

要石の彫物は古くて判然としないが、水神である龍か蛇のように見える。