2004年10月22日(金)

国木田独歩住居跡

東京都渋谷区宇田川町7-22

国木田独歩住居跡

渋谷公会堂とNHK放送センターの間の坂道を下っていく。

中程の信号のわきに建つ二・二六事件慰霊像を過ぎると、イチョウの木に隠れるように「国木田独歩住居跡」の木標が建っている。スピードに乗って坂を下っていくと、うっかりと通り過ぎてしまうぐらいさりげない。

独歩は「武蔵野」の冒頭で、『自分は二十九年の秋の初めから春の初めまで、渋谷村の小さな茅屋に住んでいた。』と書き、当時の代々木の景色を日記から引いて『武蔵野の美今も昔に劣らず』と断じている。彼がここに住んだのはわずかな期間だったが、名著「武蔵野」を生んだ場所として、永く記憶される場所となった。

田山花袋は「東京の三十年」の中の一編「丘の上の家」に、この家を訪ねたときのことを書いている。ここにもまた、楢林や水車のある武蔵野ののどかな風景が記されている。

今ではビルが立ち並んで昔の面影は見る影もないが、明治神宮の森には今でも時折朝霧が立ち、時と場所を忘れさせるような光景を見ることがある。

渋谷区教育委員会の標柱