元上谷保村の常夜燈
東京都国立市谷保6261
子供の頃、夕方祖母に買い物を言いつかる時、塩は「なみのはな」、醤油は「むらさき」と言うように教えられた。暗くなったら「し」という言葉を使ってはいけないと言うのだ。
町にはぽつりぽつりと心許ない灯りがあるばかりで、「逢う魔が時」と言う言葉通りに不安な夕暮れの道を走っていく。当時の街灯には陶製のスイッチがついていて自治会の当番か誰かが点けることになっていたのだが、たまに忘れられて暗いところを見つけると、点灯してまわるのが楽しみだった。「スイッチに触りたい」という単純な興味と、「社会の平和を守る」みたいな誇らしい気持ちがないまぜになってうれしかったのだ。
そのむかし、常夜燈にお灯明をあげる当番は、往来を明るくする役目だけではなく、村内の安全を願う宗教的な意味もあって大事に行われていたようだ。
ところで冒頭の「し」の付く言葉を使わないという話。長いこと「し」=「死」だと思っていた。だから子供心に夕方の不安が高まったのだが、最近、あれは「ひ」と「し」を混同する東京(江戸)弁で、「し」=「火」なのだと聞かされて目から鱗が落ちた。火事の多かった江戸の町では、死よりも火の方が忌むべきものであったと言うことなのだ。
まだ、夜道に「火の用心」の拍子木が聞こえていた時代だった。
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