国立駅
東京都国立市北1-14
国立駅ができた大正14年(1925)(開業は翌15年)には、ここはただの雑木林だったらしい。主となる街がないので、国分寺と立川の頭文字をとって国立という駅名を作り、町名も北、東、中、西という単純なモノになっている。
渋沢栄一の田園都市をはじめとする宅地開発ブームの中で、西武グループの創設者堤康次郎はドイツのゲッティンゲンという町をモデルにして、東京商科大学(現一橋大学)の誘致を核とした学園都市開発をこの地に行った。駅は大学との契約により堤の箱根土地株式会社(現コクド)が建築して鉄道省に寄付したものだ。
建築に当たって大学側からデザイン面に配慮することと言う要請があったため、「河野」という人(※)が設計したと伝えられているが詳しいことはわかっていない。特徴的な左右非対称の三角屋根は、旭通、富士見通、学園通で囲まれた街の形そのものを表しているという説がある。
駅前に延びる大学通は片側二車線に自転車道、桜並木、歩道が併設され、当時はもちろん、今でも他に例を見ないほどに広々としているが、府中から京王線を延伸する予定地であったらしい。桜の足下には色とりどりの花が咲いて道行く人の目を楽しませてくれる。
駅舎保存問題、景観訴訟、桜の保護運動など課題の多い街だが、国立ならではの良さを残していって欲しいと思う。
※ 駅舎は2006年に解体されましたが、2020年に「まちの魅力発信拠点」として再建されました
※ 国立市が2019年に発行した資料(三角屋根でまちあわせ)では「フランク・ロイド・ライトに師事した河野傳(つとう)」とされています