多摩川の夕暮れ
遠くへ走ると、必ず芥川龍之介の掌編「トロッコ」を思い出す。蜜柑畑を駆け抜けるトロッコ下りの楽しさの後に来る、夕闇迫る帰り道の悲しさ。主人公の良平さながらに、泣きながら帰り道を急ぐ気分になる。
「阿房列車」の内田百閨i百鬼園)は、旅は各駅停車に限ると言いながらも、帰り道は用がないので特急に乗る、とどこかに記していた。どこかへ行くのが目的なら途中を省いて特急に乗るところだが、旅は過程を楽しむものだから鈍行で行く。目的地に着いて用が済んだらさっさと特急で帰る、と言うことだろうか。
自転車は必ず自力で出発点に戻らなければならないのが辛いところだ。往きも帰りも普通列車。そのことを忘れて、遠い街の夕陽を見ながら途方に暮れることがある。
芥川を読んだ少年時代、チコとビーグルズの「帰り道は遠かった(作詞:藤本義一、作曲:奥村英夫、1968)」という歌が流行っていた。この歌を口ずさみながら、夕闇の多摩川サイクリングロードを帰ってきた。