陸軍登戸研究所跡
神奈川県川崎市多摩区東三田1-1-1(明治大学生田校舎)
生田の山の上に建つ明治大学生田校舎の場所には、かつて陸軍登戸研究所(第九陸軍技術研究所)があった。新宿にあった陸軍科学研究所が昭和十四年(1939)に作った実験場が発展して研究所になったと云うが、詳しい資料は抹消されているらしい。
正門の守衛所裏に大きな碑が残っている。表は「動物慰霊碑」、裏に「昭和十八年陸軍登戸研究所建之」とある。ここで行われていた毒物や細菌兵器の実験に使用された動物を慰霊するために建てられたものだ。人を殺す兵器をつくりながらも、その過程で犠牲となった動物を慰霊する。終戦の二年前には、まだそんな余裕があったのだろうか。
モダンな建物が並ぶ奥に、場違いな木造の建物を見つけた。
研究所には四つの科があり各種兵器の開発がなされていたが、そのうちの第三科はなんと偽札作りを行っていた。左の写真の建物(5号棟)はその第三科の建物で、ここでは中国の国民政府から略奪した紙幣印刷設備によって偽札を「兵器」として製造し、上海に設置した阪田機関という特務機関を通じて軍需物資の購入に当てていたという。
振り返ってみると、夏休みのキャンパスは学徒出陣でもぬけの殻になったかのように静まりかえっている。
放課後の暗き階段を上りゐし一人の学生はいづこへ行かむ(柴生田 稔)
何の脈絡もなく、この歌を思い出した。
※ 2010年に「明治大学平和教育登戸研究所資料館」が開館しました。5号棟は2011年2月に解体されました。