玉川兄弟の像
東京都羽村市玉川1-1
玉川上水は江戸の市民の飲用水を目的として、羽村から四谷大木戸までの42キロがわずか9ヶ月の短期間に掘削され、承応2年(1653)に開通した。武蔵野の尾根道をうまく利用したため灌漑用水を分けるのに苦労がなく、野火止用水や千川用水などが沿線の各村を潤して武蔵野の発展にも寄与している。
多摩川上水の起点になる羽村取水堰を望む公園に、上水を切開いた玉川兄弟の像が建てられている。昭和33年(1958)に有志によって建てられたものだ。
多摩川から分れたばかりの上水は広い川幅に蕩々と水が流れていて、下流の細々とした流れとはずいぶん印象が違う。かつてはこの勢いのまま江戸まで流れていたため、水難事故が絶えず太宰治の入水事件などもあって暴れ川の異名で呼ばれていたという。
今では村山・山口貯水池などに分水しているため、小平監視所より下流は再生水によるお飾りの流路となり、水量も減って昔の面影はなくなってしまった。それでも、静かな流れに沿った道は武蔵野の自然をよく残して散策に好適だ。