2002年5月25日(土)

岡本太郎の墓

東京都府中市多磨町4 多磨霊園16区1種17側

岡本太郎の墓

人生のうちでどんなに多くても自国開催を見ることができるのは1回しかない、と言われているサッカーワールドカップの話題で賑わっている今日この頃だが、私が子供の頃は大阪の万国博覧会EXPO'70の開催がそれ以上に心躍らせるイベントだった。

参加各国・各企業の描く未来像が表現されたパビリオンの造形にわくわくしたものだが、なんといっても強く心に残っているのは岡本太郎の手になる太陽の塔だった。今でもそらでその姿を描けるぐらい熱中して落書き帳に模写したことを思い出す。

父・一平、母・かのこの墓

「芸術は爆発だ」「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」などのせりふとともにTVに何度も登場した彼の顔と、万博同様に新時代を拓く象徴となる初代テレホンカードの図案にも採用された彼の作品の数々は、同時代を生きてきた私たちにとって忘れることができない。20世紀後半を象徴する芸術家の一人だったと思う。

平成8年(1996)に83歳で亡くなった彼は、多磨霊園に母・かのこ、父・一平とともに眠っている。それぞれの墓碑は象徴的な作品になっているが、太郎のそれは、生前のいかつい顔が嘘のように、両親を前にして子供に返ったようなあどけない表情が印象的だ。「午後の日」(1967)という作品がそのまま使われている。傍らには川端康成による追悼碑が添えられていた。

生田緑地にある岡本太郎美術館も是非訪ねたい。

川端康成の追悼文 | 岡本太郎美術館