2008年9月21日(日)

小手指ヶ原古戦場

埼玉県所沢市北野2-12

小手指ヶ原古戦場の碑

鎌倉幕府を滅亡させた新田義貞の兵は、現在の群馬県太田市からまっすぐに南へ下りてきて、ほぼ中間の小手指で幕府軍と最初の戦を交えた。さらに久米川で幕府軍を退け、多摩川の分倍河原へと進んでいく。

白旗塚

しかし、新田軍は分倍河原の初戦で敗れ、現在の狭山市掘兼あたりまで退却したという。小手指よりも5kmほど北へ戻ってしまったわけだ。しかも翌日にはすぐにとって返して幕府軍を破っている。わたしにはこのことが興味深い。

新田軍は騎馬隊だった。競馬の馬は時速60kmぐらいで走るというが、鎧兜に身を包んだ武将を乗せた馬はどのくらいのスピードが出たのだろうか。人も馬も連日の行軍と合戦で疲れていることだろうに、数日の間に東京と埼玉の間を何度も往き来し、しかも戦まで戦ったという彼らのエネルギーには恐れ入る。わたしは調布から小手指まで、多摩湖自転車道を間に挟んで約2時間かけて走ってきた。まだ走れるけれど、合戦をする元気はない。しかも明日は寝ているだろう。Jリーグサッカーの試合だって、土曜にやったら次は水曜だ。

歴史が変わる時(変える人)には、そういう並外れた大きな力が作用するものなのだろうか。

所沢市教育委員会の説明板 || 久米川古戦場跡 | 分倍河原古戦場跡 | 関戸古戦場跡