2009年1月12日(月)

庚申塔

青面金剛

年賀状の季節になると思い出されるのが「干支(えと)」。年ごとに割振られた動物が新年のご挨拶をするのが恒例行事になっています。12年で一巡する十二支(じゅうにし)がポピュラーですが、実際にはこれに十干(じっかん)を組み合わせて60通りの数え方があります。これが一回りするのが60年、つまり還暦です。十干というのは耳慣れませんが、昔の大学の成績などに使われた甲乙丙丁はその1、2、3、4にあたります。気が強い(?)といわれる丙午(ひのえうま)生まれの女性は、60年毎に世に出てくるわけですね。

干支は年だけではなく、月日を数えるのにも使われます。

三猿

道教では、60日毎に回ってくる庚申(かのえさる)の日に人の体の中に棲む三尸(さんし)という虫が体から出てきて、天帝にその人の日頃の行いを報告しに行くとされています。悪い行いが露見すれば、寿命が縮みます。三尸は人が眠っている間に出てくるので、庚申の日はみんなで夜通し宴会を開き、三尸が出て行かないように見張るという風習が江戸時代には盛んに行われました。この集まりを庚申講(こうしんこう)といい、その講中が祀ったのが庚申塔です。

仏教では庚申の本尊を青面金剛、神道では猿田彦神とするため、日月と青面金剛(写真左)や猿(申)つながりで三猿(写真右、右から「見ざる、聞かざる、言わざる」)が彫られている庚申塔をよく見かけます。自分たちの悪さに蓋をして夜通し宴会を楽しむなんて、昔の人も考えましたね。

庚申塔は集落に厄災が入ってくるのを防ぐ塞の神(さえのかみ)として、道標を兼ねて辻や街道沿いに建てられた例も多く見られます。自転車や徒歩で散歩をしていると、そういった道端の石造物が気になります。お地蔵さんや庚申塔などを拾い歩くのも散歩の楽しみのひとつです。

矢ヶ崎村の庚申塔(左写真) | 三鷹天神社の庚申塔(右写真)