2009年2月19日(木)

江戸神田連雀商人開墾之碑

東京都三鷹市下連雀3-36-12

江戸神田連雀商人開墾之碑

JR三鷹駅南口の歩道橋の足もとに、一柱の碑が立っている。

碑の正面に「明暦三年振袖火事因 / 江戸神田連雀商人開墾之碑 / 昭和六十二年 神田町人 森聖翁之建」と彫られているほかには何の説明もなく、行き交う人も気にとめる風でもない。とは言え邪魔にされている様子もなく、ただ静かに街を見守っている。

明暦大火慰霊塔

碑文にある振袖火事は明暦3年(1657)に江戸の町の大半を焼き尽くした、江戸時代最大の火事であったと言われている。十万人とも言われるその時の被災者を弔うために建てられたのが両国の回向院だ。

大火のあと江戸の町では大規模な都市改造が行われているが、そのひとつに、延焼を防ぐために密集した家屋の間に空間を作るというものがある。街路の幅を広くしたものを広小路、家屋を建てずに広い空き地をつくることを火除地(ひよけち)と呼ぶ。その火除地となった神田連雀町(現在の神田須田町一丁目の一部)に住んでいた二十五世帯が、代替地を与えられて移り住み、連雀新田を開いたのが現在の下連雀なのだ。

ちなみに連雀は連尺に由来していて、江戸時代の行商の人達が背負っていた背負子あるいはその肩紐の部分の名前だそうだ。神田連雀町には、連雀衆と呼ばれる行商仲間や連尺をつくる職人が集まっていたためにそれが町名になったという。

* 右の写真は、禅林寺にある明暦大火慰霊塔(昭和三十一年建立)。

回向院 | 禅林寺