調布稲荷神社(小山稲荷)の椿
東京都調布市国領町4‐12
その神社には名前がなかった。鳥居の中央にも、お堂の正面にも、名称を記した扁額のあるべき場所は空虚なままだ。鳥居の注連縄は新しいものが掛けられており、決して寂れているわけではない。調布市立図書館のHPには「調布稲荷」、別の資料(※)では「小山稲荷」とされている。
昭和20年(1945)4月7日。ここにパラシュートで降り立った米兵が、取り囲んだ住民に殺されるという事件があった。
中島飛行機武蔵製作所爆撃のために飛来したB29爆撃機のうちの一機が、迎え撃った飛燕による特攻攻撃を受けて京王線国領駅南西の畑に墜落。乗員8名が機体と共に落下して死亡、3名は脱出したが1名はこの神社の椿の木にひっかかっていたところを発見されて殺されたというのだ。残りの2名の行方も闇の中にある。
名無しの神社は、あたかもそのことに口をつぐんでいるかのように見えた。
境内に残る椿の木は小さくて、とても米兵がひっかかっていたようには見えない。子供の頃の記憶では、もっと大きな木があって薄暗かったような気がするがはっきりしない。
この墜落の巻き添えで、防空壕に避難していた一家8人が亡くなっている。体当たりした少尉は落下傘で脱出して無事だった。わたしの母はこのB29を見に行って、機体に大きく裸の女の人(ヴィーナス)が描かれていたのを見てビックリしたそうだ。
さまざまな人生が交錯したその日は、もうほとんど忘れ去られようとしている。
※ 「僕の調布にも空襲があった」 (みんなしんぶん社、1986年刊)を参考にしました
※ 2013年刊「証言 調布の戦史 撃墜されたB29」(岩崎清吾、岩波出版サービスセンター)にも、この事件のことが詳しく書かれています。
この本では、米兵殺害事件は無かったとしています。また、米兵1名が憲兵に捕縛され、戦後米国に帰還したと書かれています。
B29墜落地点付近の現在 | 付近で発見された不発弾(中央大学生が制作したドキュメンタリ−) || 青梅市柚木に墜落したB29