一町二箇村用水樋管
東京都昭島市拝島町5-13先(昭和用水堰付近)
多摩川と秋川の合流点にある昭和用水堰は、名前の通り「昭和用水」のための取水堰だ。土手の外側の公園には、水門の上に渡されていた石の部材が残されているが、そこには「一町二箇村用水」とある。しかも、その説明板には「立川用水」と呼ばれていた、と書かれている。はて?
ここから200mほど上流側には、この用水の前身の「九ヶ村用水」取水口跡が残っている。「九ヶ村」とは用水が水を供給していた柴崎村(後の立川町)、田中・大神・宮沢・中神・築地(ついじ)・福島・郷地(ごうじ)の各村(後の昭和村)、および拝島村のこと。「一町二箇村」はこの9村にあたる立川町と昭和・拝島の2村を指しており、水利権をはっきりさせるための命名だろう。
私見だが、昭和用水では昭和に造られた用水か、昭和村の用水かわからず、立川用水では昭和・拝島の顔が立たない。呼び名は様々だが正式名称は「一町二箇村用水」にしておこう、と言うことだろうか。
かつてこの用水が潤した地域では都市化が進み、田畑はほとんど無くなってしまった、用水はその使命を終え、その姿も往年の輝きを失っている。木々に囲まれて流れる啓明学園グランド脇の区間だけが、わずかに水路らしさを残している。
ところで、説明板に書かれている「一町二箇村用水通水記念碑」だが、どこにあるかと思ったら土手から公園へ降りていく道の踏み段になっていた。ちょっとかわいそう。