本村隧道(玉川上水新水路跡)
東京都渋谷区本町1-59-2付近
西新宿の高層ビル街が淀橋浄水場の跡地だったことはよく知られているが、明治の初めに東京市の水道整備を計画した際の当初案では、玉川上水の四谷大木戸の先、千駄ヶ谷に浄水場の建設が予定されていたという。
これを再検討し淀橋案に変更・推進したのが、当時34歳の技師、のちに近代水道の父といわれる中島鋭治だった。
自然の地形を利用したために甲州街道の南側へ大きく蛇行していた玉川上水から、現在の和泉給水所付近で分岐して淀橋まで一直線に引かれた水路は、まわりより高い築堤の上を通ることになった。今その水路跡の水道道路を通ると、右の写真のように交差する道がみな下り坂になっていることに気付くことだろう。
なかには、自然の水路では考えられないことだが、トンネル(隧道)を通って交差した道もあった。左の写真はその中のひとつ、本村隧道だ。トンネルの入口を飾るギリシャ神殿風の円柱に、首都東京の水道を担う使命に対する意気込みを感じる。
トンネルは上流側にもう一つ、本町隧道が残っている。