2013年1月11日(金)

彰義隊士の墓・旧上野の黒門

東京都荒川区南千住1-59-11 円通寺

彰義隊士の墓

革命による政権交代によって、前政権の王や大統領などが処刑され、その像や王宮が倒され破壊されるニュース映像を見ることがある。そこには映されていないけれど、旧体制側で戦った人々に対する処遇も推して知るべし、決して良いものではないだろう。非人道的な扱いを受けることもあるかもしれない。

旧上野の黒門

明治維新に伴う戊辰戦争の際、上野の山に立てこもって官軍(明治政府軍)に討たれた彰義隊の墓が南千住の円通寺にある。賊軍として野晒しになっていた隊士の遺体を当時の円通寺和尚と寛永寺御用商人三河屋幸三郎が、官許を得て荼毘に付し寺内に合葬してその霊を弔ったのだという。

さすがに墓碑銘に「彰義隊」を刻むのは憚られたので、ただ「戦死墓」とだけ刻されている。その隣りに建つ「死節之墓」は、三河屋幸三郎が新撰組や会津藩士らも含む戊辰戦争全体の幕府側の戦死者の名を刻んだ供養碑だ。

反体制側の墓を建てるという行為を実行した人も凄いが、それを許した明治政府もなんというべきか…。それを日本的というのか、明治維新に限った特殊な事情なのか。不思議な因縁で隊士たちは安眠の場所を得た。

境内には激戦の跡を伝える寛永寺の黒門が移設・保存されている。蜂の巣のように空いた銃弾の跡が痛々しい。

(荒川区教育委員会の説明板) : 旧上野の黒門 | 彰義隊士の墓 || 上野にある彰義隊の墓 || 円通寺