明戸古墳
千葉県市川市国府台3-9 里見公園
江戸川に面した崖の上に、いくつもの墳丘が並ぶこんもりとした森。似たような景色をどこかで見たような…。そう、荏原台古墳群の一部、田園調布の多摩川台公園がこんな感じだった。
里見公園内に数ある墳丘のうち、古墳と認められているのは頂部に石棺が露出した明戸古墳だけだ。あとは、国府台城の土塁の跡だろうか。あるいは、古墳の跡を土塁に応用したものか。
薄暗く、少し湿っぽい森に、何ともいえない薄気味悪さを感じるのは気のせいだろうか。古代人の霊なのか、合戦で命を落とした武者達か、なにかがその辺にいるような気配。
中沢新一は自著「アースダイバー」の中で、霊的な場所は古代から今に至るまでその場所を変えていない、というようなことを書いていたが、ここはまさにそう言う場所なのかもしれない。
それにしても、むき出しの石棺とは異様な光景だ。雨で覆土が流れたか、誰か(一説には太田道灌)が掘り出したか、いずれにしてもそんな地表近くに埋葬されるものだろうか。その蓋が夜泣き石の台座にされているという伝承も不思議だ。
この石棺には、国府台合戦で戦死した武将・里見弘次の墓だという伝説がある。夜泣き石は、その弘次の娘の悲しみが乗り移ったとされる大石だ。この二つの伝説の作者が、その舞台装置として石棺とその蓋に載った夜泣き石を創作した、と言っては考え過ぎだろうか。
市川市教育委員会の説明板 || 里見公園の里見伝説 | 国府台城跡