2013年5月21日(火)

里見公園の里見伝説

千葉県市川市国府台3-9

里見軍将士亡霊の碑

たまたま本屋で見つけた「江戸近郊道しるべ(現代語訳)」(講談社学術文庫)に、興味深い記事を見つけた。これは村尾嘉陵という武士が江戸近郊を歩いて回った見聞記で、お散歩BLOGの江戸時代版という感じのものなのだが、その中に総寧寺(国府台城趾)を訪れた時の事が記されている。

夜泣き石

ここで明戸古墳の石棺と夜泣き石(本書では夜啼の石)を見た村尾嘉陵は、石棺には日本武尊が置いた槨という説があるがそんなに古いものではないだろう、夜啼の石については山の鬼哭を聞いた僧が掘り出して享保2年(1717)に供養したものらしい、と書いている。国府台合戦については、今でも月のない雨の夜には合戦の声が聞こえることがある、と書いている程度で、石棺や夜啼の石にまつわる里見伝説への言及はない。

彼が訪れたのは文化4年(1807)。里見の名を一躍有名にした曲亭馬琴(滝沢馬琴)の伝奇小説「南総里見八犬伝」の最初の話が発表されたのが文化11年(1814)(天保13年(1842)完結)。里見軍戦死者の慰霊碑(里見軍将士亡霊の碑)が建てられたのは文政12年(1829)だった。天保7年(1836)に刊行された「江戸名所図会」は明戸古墳を紹介して「里見弘次の墓という説は誤り」と書いている。

断定はできないが、里見伝説の背景がうっすらと見えてくるような気がする。

なるほど、古文書から歴史をひもとくとはこういう事なんだな、と学者になったような気分を味わった体験だった。

(記:7月5日)

(説明板) : 総寧寺 | 国府台城跡 | 里見軍将士亡霊の碑 | 夜泣き石 || 明戸古墳 | 国府台城趾(里見公園)