徒然草の碑
神奈川県川崎市多摩区宿河原6-17
江戸時代より以前の文化的なもの、和歌や絵画などは皆、京の都を舞台にしているものだと漠然と思っていた。だから、二ヶ領用水の東名高速ガード下に建つ石碑に「徒然草」の文字を見ても、なんのことだかすぐにはピンと来なかった。同じような経験は、多摩の小野小町歌碑を見た時にもしている。
伊勢物語の東下りの段を引くまでもなく、昔から東西の交流はあり、そのことを記した作品も多く残されている。徒然草の時代には鎌倉に幕府があったのだから私の思いこみは浅学の故でしかないのだが、なかなかその呪縛から逃れられずに困っている。
碑文に寄れば、徒然草は「宿河原」の地名が登場する最古の書物なのだという。そんなに昔から知られていた地名だったとは驚きだ。
登戸や溝ノ口に比べて地味な存在かと思ってきたが、「そんなことはないのだよ。えっへん。」と大きな石碑は誇らしげに立っているように見えた。
「徒然草」第百十五段 | 徒然草の碑の説明 || 小野小町歌碑