玉川上水余水吐
東京都新宿区内藤町
沖田総司はどこで死んだのだろう。
浅草の今戸神社に沖田総司終焉之地の碑がある。今日は渋谷川上流の玉川上水余水吐を見に来たら、外苑西通りに架かる池尻橋跡の傍らにも「伝 沖田総司逝去の地」と書かれた説明板が立っていた。
沖田総司と言えば凄腕の剣士ではあるけれど、病弱で結核を患っていたため実際に活躍した場面は少なく、新撰組物語にビジュアル面で花を添える美少年キャラ、という印象がある。もちろん私の勝手なイメージではあるが、刑死した近藤勇や五稜郭で戦死した土方歳三のような、新撰組に詳しくない人でも知っているようなエピソードが思い浮かばない、有名なのによく知られていない謎の人物と言えるかもしれない。
それはさておき、その池尻橋跡から新宿方面へ、新宿御苑と住宅地の間に川でも遊歩道でもない細長い空き地が続いている。空き地は甲州街道の新宿御苑トンネルの東側出口付近で途切れるが、トンネルを越した先が玉川上水の四谷大木戸跡だ。大木戸では水道の管理をしており、市中に供給する量を超えた余水や大雨の跡の濁り水などをこの水路に逃がしていた。玉川上水余水吐と呼ばれ、その水は渋谷川に流れ込んでいる。
玉川上水は使命を終え、小平監視所から下流は下水の再生水が流れている。その水も流路が暗渠化される高井戸の浅間橋付近から神田川に誘導されていてここまでは来ない。元々水量が少なかった渋谷川には、今は落合水再生センターから供給された再生水が流れている。
使命を終え、暗渠化されて流れる水を失った跡地は寂しげだ。なにか、良い余生の過ごし方を考えてあげられないものだろうか。