2006年7月30日(日)

旧中島飛行機発動機発祥之地/ロケット発祥之地

東京都杉並区桃井3-5-5

旧中島飛行機発動機発祥之地碑

日本の航空機産業に一時代をつくった中島飛行機は、大正13年(1924)に創業地の群馬県尾島町(現太田市)から東京に進出して発動機(エンジン)専業工場(東京製作所)を荻窪の地に建てた。当初は海外メーカーのライセンス生産だったが、昭和5年(1930)に国産第一号の「寿」を完成させると、以降、零戦などに搭載された「栄」、紫電改などの「誉」と、日本の主力戦闘機の発動機を製作し、航空発動機メーカーとしての揺るぎない地位を築いていく。

ロケット発祥之地碑

それ故に東京製作所から主力を移した武蔵製作所(現武蔵野中央公園ほか)は東京空襲で完膚無きまでに破壊され、戦後、企業体はGHQにより解体された。東京製作所は富士精密工業、プリンス自動車工業を経て日産自動車荻窪事業所となり、平成10年(1998)にこの地での長い歴史に幕を下ろした。その跡地には、昭和62年(1987)に建てられた「旧中島飛行機発動機発祥之地」の碑が残っている。

この碑に背を向けるようにして建つもう一つの碑は、ここで国産ロケット第一号のペンシルロケットが開発されたことを記念している。ほかにも、開発の中心となった東京大学生産技術研究所のある千葉市、打ち上げが行われた道川海岸のある秋田県岩城町(現由利本荘市)も、それぞれロケット発祥の地を名乗っているそうだ。

「ロケット発祥の地」説明プレート || 日本の宇宙開発発祥の地 | 中島飛行機殉職者慰霊碑