日本の宇宙開発発祥の地
東京都国分寺市本町1-2-1(早稲田実業学校正門前)
昨年(2010年6月13日22時51分大気圏再突入)、足かけ7年に渡る60億kmの旅を終えて地球に戻ってきた惑星探査機はやぶさが訪ねた小惑星イトカワの名は、日本のロケット開発の父と呼ばれる糸川英夫博士に由来する。世界のホームラン王・王貞治やハンカチ王子こと斎藤佑樹投手の母校として知られる早稲田実業学校の正門前に建つ「日本の宇宙開発発祥の地」の碑には、ペンシルロケットを手にする博士の写真が彫られている。
碑は、昭和30年(1955)4月12日にこの地で日本最初のロケット「ペンシルロケット」の試射実験が行われたことを記念している。当時、ここには銃器の製造を行っていた新中央工業(現在はミネベアの一部門)の跡地があり、銃の試射を行うピットが実験場として選ばれたのだ。碑の両側には、「当時の計測方法 電気標的」「1955年ペンシルロケット水平発射」とキャプションが付けられた二枚の写真が置かれ、当時の実験風景を伝えている。
日本のロケット開発はその後、ベビー、カッパ(K)、ラムダ(L)、ミュー(M)、エヌ(N)と続き、数々の観測衛星が打ち上げられたけれど、有人飛行に成功した米ソに比べると地味な感じは否めない。1990年には秋山豊寛がジャーナリストとしてソユーズに搭乗し、1992年には毛利衛が日本人初の宇宙飛行士としてスペースシャトル(エンデバー)で宇宙に飛び出したが、どちらも米ソの力を借りている。
はやぶさの帰還は、改めて日本の宇宙開発事業に光を当て、その誇るべき技術力を多くの国民に気づかせてくれたのだ。