2004年1月18日(日)

中島飛行機殉職者慰霊碑

東京都西東京市東伏見1-5-38(東伏見稲荷神社)

慰霊碑

第二次世界大戦(太平洋戦争)において、日本の各主要都市は米軍の空襲によって焦土と化した。初期の空母艦載機からの単発的な攻撃の後、マリアナ基地をベースにしたB29による本格的な本土爆撃は、昭和19年(1944)11月24日、第73航空団による東京の中島飛行機武蔵製作所への攻撃を皮切りに、全国を焼き尽くしていく。

中島飛行機はゼロ戦(零式艦上戦闘機)を初めとする軍用飛行機を製造しており、なかでも武蔵製作所(陸軍向け武蔵野製作所と海軍向け多摩製作所が合併)は主に発動機(エンジン)の生産を行う最重要軍需拠点だったのだ。

戦後、中島飛行機の各地の工場は富士重工やアキレスなどの会社に引継がれたが、武蔵製作所は被害が大きかったために再建できず、その跡地は武蔵野中央公園 (はらっぱ公園)や武蔵野市役所に転用された。

跡地北側の東伏見稲荷神社に、戦争の記憶を残す慰霊碑が静かに眠っている。

建碑之由来 || 中島飛行機武蔵製作所跡 | 中島飛行機発動機発祥之地