国立市青柳
東京都国立市青柳355
多摩川北側(左岸)のサイクリングロードを西(上流)へ走っていくと、国立市から立川市に入る手前の中央高速をくぐった先で突然舗装がとぎれ、堤防さえもなくなってしまうところがある。
細い道の両側に雑木林に囲まれた家が並び、昔からの屋敷墓が点在する数百メートルの区間はそこだけ時間が止まっているような不思議な場所だ。
そもそも、国立というのは中央線の「国分寺」と「立川」の間にある駅を「国立」と名付けたという味気ない駅名から来た地名で、北部の中央線沿線は学園都市として整然と開発され、「北」「西」「中」「東」などと言う無粋な町名が並んでいる。
一方、南の谷保地区には、谷保天満宮、矢川緑地、青柳段丘とママ下湧水など昔の農村の風情が残されている。
問題の地区はその谷保の西で、立川と境を接している。堤防のサイクリングロードが切れたところから少し北にはいったところにある青柳稲荷の説明板によれば、寛文十一年(1671)の洪水のあとに府中の青柳島と日野の石田から移り住んだ人達がそれぞれ青柳村、石田村を作っていたところで、その名残が大字になって残っているという。
堤防が無くなる地点では、昭和26年に完成した府中用水竣工記念碑が、雑草と建設資材のスクラップに埋もれている。その先の府中用水取り入れ口を過ぎると、「伊藤単朴の墓」があった。江戸時代の談義作者で、いろいろな本を書いた学者らしい。
その向かい(南)側に多摩川に面して大きな石碑がたっている。周りを頑丈にロープで囲まれていて、「この先行き止まり、危険区域 毒ヘビ 爬虫類 管理奉行」などと書かれた看板がおどろおどろしく近寄ることが出来ないが、大正元年に天皇がこの地に来た、とか何とか言うようなことが書いてあるように見える。
西へ行き、貝殻坂を下って根川を渡ると立川公園だ。ここから根川沿いの道は桜並木になっている。4月にまた来ようと思う。