2003年3月21日(金)

川崎市学童疎開四十周年記念像

神奈川県川崎市多摩区枡形6−4740(枡形山)

川崎市学童疎開四十周年記念像

昨日からついにアメリカがイラクへの攻撃を始めた。それについて書き出すと収拾がつかなくなるのでやめておくが、わたしはこの戦争について是とは思っていないことだけは記しておく。

そんなことをぼんやりと考えながら自転車を走らせて、気がついたら生田緑地の枡形山に立っていた。

枡形山・展望台

鎌倉時代初期に幕府北辺の守りとして多摩丘陵に置かれていた城のうちのひとつ、稲毛三郎重成の枡形山城の跡だが、山頂の一角に「輝け杉の子」と題された川崎市学童疎開四十周年の記念像が建っている。太平洋戦争の末期、川崎市内各校の児童たちが空襲を避けて学童疎開をした。生田の桜本国民学校の生徒たちが枡形山にあった鍛錬道場に学童疎開したことから、ここに記念像の建立が決まったという。(圓鍔元規作、1985)

平和な時代を迎え、明るい未来を見つめているかのような少年少女に、今の世の中はどう見えるのだろうか。

帰り道に振り返ってみると、向ヶ丘遊園の大観覧車が無くなっていた。

 観覧車 回れよ回れ 想ひ出は 君には一日(ひとひ)我には一生(ひとよ)

作者の栗木京子は戦後生まれだけれど、それを知らず、ながいこと戦時中の作だと思っていた。わたしにはこの歌が、出征を間際に控えた最愛の人との一日が永遠に続くようにと詠んだ切ない乙女心に思えたのだ。

桜の頃の枡形山