柳窪
東京都東久留米市柳窪4-15(黒目川天神社)
田無(西東京市)という地名があるように、昔から武蔵野台地では米はあまりとれなかった。代わって作られた小麦を用いたうどんが名産となり、「武蔵野うどん」として知られている。
東久留米市の柳窪には戦前まで地名を冠した「柳久保」と言う品種の小麦があったという。この麦は丈が高く、食用もさることながら、むいから屋根を葺くのに重宝されたようだ。
「柳久保」が絶えてしばらくの間に、麦畑が無くなり、むいから屋根が無くなり、周囲は小市民の住宅で埋め尽くされてしまった。そんな中で、小平霊園の北側、黒目川に沿って位置する柳窪の集落だけは、旧家の屋敷林や点在する畑と共に昔ながらの姿のまま残ってきた。ほっとする雰囲気が漂っている。
かつての武蔵野の面影の残る中を走っていると、元は広い屋敷であったのだろうかと思われる一角で、分譲住宅の展示会をやっていた。旧家の相続問題でもあったのだろうか。小さくて同じような家が、ぎっしりと建ち並んでいる前で、外から来た人たちが集まって談笑している。「緑が多くて、静かで良い」と家を買っていく人たちが増えると、緑が減って静かではなくなってしまう皮肉。
この風景は、いつまで残っていられることだろうか。
※ 柳久保小麦は昭和60年(1985)ごろに栽培が復活し、現在は東久留米の特産品として武蔵野うどんやパンなどに利用されています
(説明板) 柳窪梅林の碑 | 柳久保小麦(JA東京)